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東日本大震災を乗り越えて… 東北工業があったからこそ見えてきた絆 小川信也×佐藤勇氏 佐藤勇氏プロフィール 宮城県栗原市長

出会いが育てた信頼

小川:3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。
改めて心からお見舞い申し上げます。

佐藤:震災後には、太平洋工業さんから三度にわたり貴重な支援物資をお送りいただき、ありがとうございました。栗原市民ともども大変感謝しております。

小川:私どもが東北地区顧客の事業拡大に伴い、進出用地の検討を開始したのが2009年9月のことでした。栗原市は立地的に好条件で、はじめて現地にうかがった時には、佐藤市長自ら直々に丁寧なご説明と誠実なお話をしてくださり、信頼できる方だと感じました。

東北工場
東北工場

佐藤:太平洋工業さんの東北進出については、宮城県から紹介がありました。はじめは、ジャストインタイムを導入しておられる会社は合理主義の会社だという個人的な先入観を持っていましたが、小川社長と直接お話をし、そのお人柄や対応を見て、私の印象が誤りであることに気づきました。
 予定地は、民間が所有する工場跡地でしたが、良い所も悪い所もすべて正直に申し上げました。駆け引きなしでお話し、理解していただくことが一番だと考えたのです。

小川:東北進出を決めた頃は、リーマンショック後の大変厳しい環境下でしたので、投資抑制のため、まずは栗原市から土地・建物の賃借契約をさせていただき、素早く2010年5月に生産を開始することが出来ました。
 今日の対談にあたり、東北工場開業式の際に佐藤市長から頂戴した藍染めのネクタイを絞めてきました。

佐藤:その藍染めのネクタイは、2008年の岩手・宮城内陸地震で被災した地元の藍染め工房が復興後につくったものです。
2本入手しましたので、1本はぜひ小川社長に・・・と思い、差し上げました。

小川:ありがとうございます。これからも大切に使わせていただきます。

東日本大震災とその被害

小川:3月11日の地震発生時はどちらにみえましたか。

佐藤:ちょうど市内を移動中でした。強い揺れが6分ほど続きましたが、その間に地震が3回起きていました。10分ほどで市役所に戻り、ただちに被害状況の報告を受け、午後3時30分には村井宮城県知事に状況説明を終えていました。

小川:被害の状況はいかがでしたか。

工業近隣の道路被害
工業近隣の道路被害

佐藤:栗原市は最大震度7を記録し、被害箇所は多かったのですが、建物の倒壊は少なく、死者を出すこともありませんでした。しかし、市内では電気や水道などのライフラインが広域でストップし、約3,000名の被災者を69カ所の避難所に8日間から10日間にわたって受け入れました。一番長い所では1カ月に及ぶ避難生活になりました。

小川:私は台湾に出張中でしたが、お客様の工場を見学している時に電話が掛かってきて、大地震と津波で車が流されているという一報を受けました。テレビをつけると凄まじい映像が続いており、驚愕しました。すべての日程をキャンセルし、翌朝一番の飛行機で日本に緊急帰国しました。

対策本部設置
対策本部設置

佐藤:会社の初動対応はどのようになされたのですか。

小川:社内ルールで災害時の対策本部設置が決まっています。日本にいた副社長が本部長になり、社員・家族の安否確認と東北工場の被害状況の確認に全力をあげました。幸いにも社員・家族は全員無事で、工場の建物と設備の損傷も比較的軽微なものでした。地震発生後は、毎朝夕対策会議を開催し、東北工場の復旧支援と全社の生産対応の調整に努めました。また、労働組合と賃金交渉を早期に妥結し、休業体制に入ることを協議し、仕入先様の対応も含め、様々な緊急対応を実施しました。


佐藤:工場はどれくらいストップしましたか。

小川:3月14日からトヨタ自動車様をはじめ、お客様のラインがほとんど停止状況となりました。マイコン部品・資材メーカーなどの被災により、4月は20%、5月は40%操業を余儀なくされました。自動車業界を挙げての復旧支援活動により、予想より早く6月から8割程度の稼動・復旧となりました。

佐藤:栗原市では、7日間全面停電し、断水は24日間に及びました。4月7日には大きな余震が発生し、その直後も電気・水道が止まり、市民は大変心細い思いをしました。太平洋工業さんと大垣市からの支援は、そんな市民を勇気づけてくれるものでした。

“必要なものを必要なときに必要なだけ”

小川:“ 必要なものを必要なときに必要なだけ”というのがトヨタ生産方式の考え方です。栗原市とは既に信頼関係ができていましたので、支援物資を送る際には、栗原市が一番必要とするものをタイミングよく届けたい・・・という思いで連絡をさせていただきました。実際の現状をお聞きし、今、本当に不足している物は何か、必要な物は何かが明らかになりました。

栗原市役所に到着した支援物資
栗原市役所に到着した支援物資

佐藤:あつかましいと思いましたが、緊急事態でしたので窮状を訴え、支援をお願いしました。確か3月15日の第一次支援では、病院や下水の終末処理施設の発電機を動かすのに軽油が欲しいと申し上げました。震災直後は、電気、水、燃料との戦いでした。ガソリンも必要でしたが、病院の灯が消えることだけは避けなければいけませんでした。毛布や食料などを満載した大型トラック2台と、軽油を積んだタンクローリー1台が栗原市役所前に到着した時は、大きな歓声が沸き上がりました。また、3月24日の第二次支援では、避難所にいる高齢者たちのために、敷布団・掛布団・枕のセットなどをいただきました。

小川:実は、支援物資の中に私どもの社員や家族に向けた食料なども入れさせていただきました。東北工場の園部工場長が社員の自宅を回り、一時見舞金とともに届けました。社員の家族からお礼のお手紙を何通も頂戴し、なかには近所の方や避難所にもお裾分けして感謝されたという話もありました。この地域の人々は大変素朴で誠実です。素晴らしい地域に工場進出できたと喜んでいます。

佐藤:電気や水道のめどがついた後、我々は甚大な被害を被った南三陸町の被災者を二次避難先として迎え入れましたが、「栗原の避難所には畳と暖かい布団がある」と感激しておられました。これが太平洋工業さんからいただいた布団なのです。“貧の友は、真の友”という言葉があります。一番苦しい時に手を差し伸べてくれた友人を私たちは生涯忘れません。“絆”の大切さを改めて痛感しました。

小川:佐藤市長が先頭に立たれ、多くの被災地を自らの足で歩き、被災市でありながら被災地を支援されるというお姿に大変感銘を受けました。まさに現地現物でお仕事をされていて、企業経営と通ずるものがあると感じました。

佐藤:今回の震災は、大津波による被害が甚大でした。沿岸地方に比べ被害の少なかった栗原市は、できるだけ自力での復旧・復興に全力を挙げ、一日も早く東北全体が復興できるよう協力していきたいと思っています。

小川:我々も日本が早く元気になるよう、継続的な支援を行っていきたいと思います。

 
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