太平洋工業80年のあゆみ

  • バルブコアのパイオニアとして
  • 戦時下の発展と波乱に満ちた戦後の再建
  • 工場再開と経営の近代化
  • 世界の太平洋をめざして
  • 経営の多角化
  • 国内拠点拡充と国際化
  • 革新の時代
  • グローカル経営

1951年~1960年 工場再開と経営の近代化

沿革

1953年5月 パシフィック商工株式会社を吸収合併
社長交代 小川憲一 ⇒ 小川宗一
東京営業所を開設
1954年7月 バルブコアの日本工業規格表示許可工場に認定
1955年5月 高松宮殿下が工場を視察
1956年1月 生産性向上5カ年運動を開始
1960年11月 大垣市久徳町に西大垣工場を新設。創業30周年記念式典開催

工場再開とパシフィック商工との合併

パシフィック商工

パシフィック商工

1950年5月、太平洋工業は減資してようやく工場を再開しましたが、社員わずか35名での再出発であったため、大きな伸びは期待できず、戦後の“特需”の恩恵を受けたのは「パシフィック商工」でした。

自動車メーカーの生産合理化が進むにつれ、部品は部品メーカーから直接買うのが原則という意向が強くなり、「パシフィック商工はメーカーか商事会社か」という議論が交わされるようになったため、1953年、再び太平洋工業とパシフィック商工は合併し、戦後の再建が本格化しました。

生産性向上運動

ドイツの最新鋭設備を導入。

ドイツの最新鋭設備を導入。

工場内に掲げられた生産性向上の看板

工場内に掲げられた生産性向上の看板

1955年、日本生産性本部視察団の一員として初めて米国経済界を視察し、日本との違いを目の当たりにした小川哲也(当時副社長)は、「世界を相手に商売をするには、今までのやり方を根底から考え直さなければいけない」と痛感。

世界的水準のバルブ工場に改造しようと「生産性向上5ヵ年運動」を断行しました。世界最新鋭機械を導入して設備の近代化を図り、バルブコアの生産高を世界第4位へと押し上げました。

プレス製品の一貫生産工場「西大垣工場」建設

西大垣工場の大型プレス機

西大垣工場の大型プレス機

プレス事業の本拠地として、設立された西大垣工場。

プレス事業の本拠地として建設された西大垣工場。

1959年、カラーテレビ、クーラー、カーは“3C”新三種の神器と言われ、マイカー時代の到来ともてはやされました。

既にトヨタ協豊会の有力メンバーとなっていた太平洋工業は、量産体制を整備するため、岐阜県大垣市久徳町に、大型プレスからめっき・塗装までの一貫生産を行う西大垣工場を建設し、プレス事業の拡充を図りました。

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